会社の歴史だけでは時代に呑み込まれる
私たちは、社員数80人と決して大きな会社ではないものの、主に土木や建築の工事現場で使用するゴムマットや車止めなどの資材を製造し、40年の歴史を重ねてきました。
しかし、時代が変化していく中で、建築の現場にも海外資材が多く使われるようになり、受注数はピーク時の2/3まで落ち込んでいました。借入金の返済等、会社運営に問題はないものの、決して安心していられる状況ではありませんでした。
下請けからの早期脱却は、二代目社長として越えなければいけない壁でした。10年前には、本業とは異なる分野へと進出。優れた縫製技術を持つ工場を買収し、オリジナルブランドを立ち上げました。
人の幸せのために自社の技術を活かす
そんな時でした、久しぶりに友人のカメラマンと食事をすることに。友人は、20年以上スタジオカメラマンとして活躍しており、趣味でも山に登り景色を撮影していました。見せられた写真は、まるで目の前に風景が広がるような気持ちにさせるものでした。
ただ、話が進むにつれ、声のトーンが落ちていきました。どうしたのか、と尋ねると「旅をしながら気に入った風景を撮りたいが自分の要望を満たすバックパックがない」といいます。
「ミラーレス一眼のボディに、望遠・標準・広角の3本のレンズ。加えてバッテリー等の小物に三脚が撮影機材。これに13インチのノートパソコンと2泊3日分の着替えを入れられる容量、そして山にも入るので、防水効果と耐久性、何より対衝撃の高いものが欲しい」
私もカメラの知識を少しは持っていたので、友人の話を理解することはできました。確かにカメラを持ち歩く者にとって、彼が求めるバックパックは理想的でした。話は、そこで終わったものの、翌日も私の頭の中ではバックパックのことを考えていました。
「私たちが取り扱うゴム製品と縫製技術を組み合わせることで、カメラ等の精密機械を守るのに有効活用できないか。上手くいけば、彼はもっと写真を楽しむことができる。私たちの技術が人を幸せにもできる」
これが、Explorer-G attackを生み出すきっかけとなりました。早速、先代の時代から製造部門を支えてくれている責任者と打ち合わせをすることに。ところが、私が説明を始めて20分も経たない内に、彼の顔が曇っていくのが分かりました。
「この企画は、難しいだろうか・・」
「カメラマン用のバックパックは、金型を作れば製造は可能かもしれませんが、ニーズがそこまであるのかな、と。とても、売れるとは思えません。これまでと変わらず、工事現場へと卸す資材だけでよろしいかと」
確かに、私たちにはバックパックを造る知識はなく、彼のいう通りカメラマン専用ではスマッシュヒットにはなりません。だが、確かなデータはなかったものの、自社の技術や経験を活かせるのではないか、という自信だけはありました。
目指す場所を共有する
例え会社のトップであろうとも、社内の同意を得られなければ新規事業はスタートできません。まずは、20〜40歳の社員一人ひとりに声をかけ、趣味とバックパックの使用について聞いて回りました。趣味を聞いたのは、カメラだけではなくあらゆるシーンを想定したかったからです。
普段は仕事の話が中心となっていたので、お稽古事から草野球まで社員の多くが趣味を楽しんでいることを知る機会にもなりました。その中から、バックパックを日常使いしており、バイク、ゲーム、キャンプ、テニスを趣味とする、社員5人で開発チームを発足させました。
最初の顔合わせで、「私たちの持つ技術で人を幸せにしたい」と伝えました。何故、何のために、これまでとは異なる道に挑戦するのか。大切な芯の部分を共有したかったからです。
私の話を真剣な眼差しで聞く彼らの姿は、今でも覚えています。
動き出したキュウマルプロジェクト
開発、といってもまずは社内での同意を得るための説得材料を集めることが目的でした。通常業務に支障をきたさないよう、月、水、金の16時から終業時間の17時30分まで90分だけにしました。いつしか、メンバーはその時間をキュウマルプロジェクトと呼ぶようになっていました。
最初に試みたのは、有名ブランドからアメ横で売っている商品まで、30程のバックパックを購入し、毎日、中に入れる荷物の量を変えながら、全てのバックパックをメンバー全員で背負ってみることです。すると、同じ積載量でも身長や体型によって感じ方が異なりました。中には、軽い重いで、極端に異なるものもありました。調査を進めていくと、ベルトの太さだけではなく、デザインから得られるバランス等、様々な要素が背負い心地を変えることが分かってきました。
【第二話 新たな理念づくり】